
実際に二宮金次郎が油菜を蒔いた場所に立つと、教科書の中の話だったはずの「積小為大」が、急に手触りのあるものに変わりました。
友人から借りたのは、たった五勺(一握り・約90cc)の菜種。仙了川の土手の荒地に蒔いただけなのに、翌春には150倍近い収穫を得て、それを灯油に交換し、夜の勉学にあてたといいます。
この記事では、二宮金次郎と菜種油の由来となったこのエピソードと、当時の暮らしを支えた菜種油そのものについて、実際に油菜栽培地跡を歩いた体験を交えて紹介します。

| 住所 | 神奈川県小田原市栢山 |
| アクセス | 二宮金次郎の生家・尊徳記念館から徒歩5分 |
| 見学料 | 無料 |
| 駐車場 | 専用駐車場なし(尊徳記念館の駐車場を利用) |
油菜栽培地跡へのアクセス
油菜栽培地跡は、二宮金次郎の生家・尊徳記念館から徒歩5分ほど。仙了川沿いの静かな道を歩いていくと、田んぼの中にぽつんと石碑が現れます。
二宮金次郎と菜種油の出会い、積小為大が生まれるまで
16歳で伯父・万兵衛の家に身を寄せていた金次郎は、夜遅くまで書物を読むことを「灯油がもったいない」と咎められ、思うように勉強ができずにいました。
そこで金次郎が考えたのが、自分で灯油の元になる菜種を育てることでした。
友人から菜種を借りる
灯油を使うことを伯父に咎められた金次郎は、友人から五勺(一握り・約90cc)の菜種を借りた。
仙了川の土手に蒔く
誰も使っていなかった仙了川沿いの荒地を耕し、借りた菜種を蒔いた。
翌春、150倍の収穫
翌年の春、七升(約12.6L)以上という、使いきれないほどの菜種が実った。
収穫した菜種は隣村の油屋に持ち込み、菜種一升につき二合の割合で灯油に交換してもらいました。こうして手に入れた灯油で、金次郎はようやく思う存分に夜の勉学ができるようになったといいます。
📣 しんのひとこと
わずか一握りの種が150倍になった話を知ってから、この場所を訪れると見え方が変わります。何もない田んぼの一角なのに、妙に感慨深い気持ちになりました。
金次郎はこの経験から、「小さな行いを積み重ねれば、いずれ大きな成果になる」という自然の法則に気づきます。これが、彼の代表的な思想である「積小為大(せきしょういだい)」の原点になったと伝えられています。
菜種油とは?江戸時代の暮らしを照らした油
菜種油は、アブラナ(菜の花)の種子から搾られる植物油です。中国から渡来したアブラナは、もともと若菜を食べるための野菜として栽培されていましたが、江戸時代に搾油の技術が発達すると、油をとるための作物として広く栽培されるようになりました。
荏胡麻油に代わって広まった「行灯の油」
江戸時代以前、灯りの油として主に使われていたのは荏胡麻油(えごまあぶら)でした。しかし、菜種を効率よく搾る「搾め木(しめぎ)」という道具が発明されると、より多くの油が取れる菜種油へと主役が交代します。菜種油は行灯(あんどん)の燃料として庶民の夜を照らし、正徳年間には取引量で荏胡麻油や胡麻油を大きく上回るまでになりました。
米よりも高価だった貴重な油
当時の菜種油は決して安いものではありませんでした。文化年間の記録では、米一升が百文だったのに対し、菜種油は一升およそ四百文だったといわれています。金次郎が伯父に灯油の無駄遣いを咎められたのも、それだけ油が貴重品だったからだといえそうです。明治時代に入り石油ランプが普及すると、菜種油はあかりの主役の座を譲りますが、現在も食用油として私たちの食卓に欠かせない存在です。
現地レポート、油菜栽培地跡を歩く
油菜栽培地跡は、これといった建物があるわけではなく、仙了川沿いの田んぼの一角に石碑と説明板が立っているだけの、控えめな史跡です。


だからこそ、知らずに通りかかると見過ごしてしまいそうになりますが、足を止めて説明板を読むと、200年ほど前にここで金次郎が菜種を育てていた光景が目に浮かんできます。

「富水」という地名の通り、仙了川の水は驚くほど透き通っています。川面をのぞくとコイや小魚が悠々と泳いでいて、顔を上げると富士山まで見渡せる、贅沢な景色です。

📣 しんのひとこと
ここ小田原は「めだかの学校」の歌でも有名なんです。仙了川を眺めていると、その歌詞がふと頭に浮かびました。
菜の花が咲く季節に訪れると、金次郎が見ていたであろう景色を、より鮮やかに想像できるはずです。

訪れた人たちの声
何もない田んぼの中に、ぽつんと石碑が立っているだけなのに、そこに立つと不思議と背筋が伸びる気がしました。仙了川のせせらぎと富士山が同時に見える贅沢な場所です。
生家から歩いてすぐなので、尊徳記念館とセットで回れました。田んぼ道なので、歩きやすい靴で行くのがおすすめです。
小学生の子どもと一緒に「積小為大」の話を読んでから訪れると、教科書の言葉が急に立体的になった様子でした。
菜の花の季節に訪れると、当時の風景を想像しながら写真が撮れます。人が少ないので落ち着いて撮影できました。
二宮尊徳の生涯の中でも、この一握りの菜種のエピソードが一番好きです。実際の場所に立つと、本で読むのとは違う実感があります。
川を覗くとコイや小魚がたくさん泳いでいて癒されました。子どもよりも大人の方がはしゃいでしまいました。
石碑と説明板はありますが、初めてだと通り過ぎてしまいそうな控えめな佇まいでした。
→ 目印は仙了川沿いの小さな橋の近くです。事前にGoogleマップでピンを確認してから向かうと迷わず着けます。
専用駐車場が見当たらず、車をどこに停めればいいか少し迷いました。
→ 現地には専用駐車場がないため、尊徳記念館の駐車場に停めて徒歩で訪れるのがおすすめです。
よくある質問
伯父の万兵衛から夜更かしで灯油を使うことを咎められ、自分で灯油の元を作ろうと友人から菜種五勺(一握り・約90cc)を借り、仙了川の土手の荒地を耕して蒔いたことがきっかけです。翌春、150倍近い収穫を得て、それを灯油に交換し夜の勉学にあてました。
江戸時代の菜種油は、行灯(あんどん)の燃料として庶民の夜の明かりを支えた油です。搾油技術の発達により、それまで主流だった荏胡麻油に代わって広まり、正徳年間には取扱量で胡麻油を大きく上回りました。当時は米よりも高価な貴重品で、灯明用のほか食用としても利用されていました。
二宮金次郎は、一握りの菜種を蒔いただけで翌年には使いきれないほどの収穫を得た経験から、小さな行いを積み重ねることが大きな成果につながるという自然の法則に気づきました。この気づきが「積小為大(小を積んで大を為す)」という考え方の原点になったと伝えられています。
どちらもアブラナ科の植物から採れる油という点では共通していますが、現在市販されているキャノーラ油の多くは品種改良された「キャノーラ種」が原料で、輸入に頼っているのが実情です。江戸時代の菜種油は国内で栽培されたアブラナが原料で、当初は灯火用として利用されていた点が大きく異なります。
まとめ
二宮金次郎は、友人から借りたわずか五勺の菜種を仙了川の土手に蒔き、翌春には150倍もの収穫を得て、それを灯油に交換して夜の勉学にあてました。この体験から生まれたのが、「小を積んで大を為す」という積小為大の思想です。
油菜栽培地跡そのものは石碑と説明板があるだけの静かな場所ですが、菜種油が庶民の暮らしを照らした江戸時代の背景を知ってから訪れると、見える景色がぐっと深まります。生家や尊徳記念館とあわせて、ゆっくり歩いてみてください。

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