二宮金次郎は、友人から借りた 菜種を仙了川の土手に蒔いた。
翌春、収穫があり、沢山の菜種が取れ150倍もなった。
それを、灯油に交換して、夜間の勉学に使ったという。
この自然の法則から、二宮金次郎は
の大切さを知った。
実際に金次郎が油菜栽培をした地跡を訪れ、金次郎の「積小為大」の精神を学んだ。
この記事の目次
積小為大までの足跡
幼少期、家族は別々に
二宮金次郎は天明七年(1787年)小田原市栢山に生まれた。
生まれた頃は裕福で、金次郎は夜は夜で遅くまで父が残した経済学や儒教の書物を読んだ。
砂に字を書いては消してを繰り返し、字を覚えていた。
しかし、酒匂川の氾濫で田畑を失い、やがて貧しくなりました。
金次郎の生涯に大きな影響を与えた酒匂川 動画の流れは穏やかです。しかし当時は、大雨の時には堤防を破壊して、洪水を何回かおこしていました。 |
追い打ちをかけるように、金次郎の父の利右衛門は、金次郎が14歳のときに死去。
その2年後には母のよしも亡くなった。
残された幼い2人の弟(友吉、富治郎)は、母の里(川久保家)に預けられた。
金次郎は伯父万兵衛の家へ
16歳の金次郎は父方の伯父万兵衛のもとに身を寄せることになり、弟たちとも別々に暮らすことになった。
伯父万兵衛の家。金次郎の生家の北側にある。
伯父万兵衛の家の説明板
二宮万兵衛家は、金次郎の祖父銀右衛門及び父利右衛門の生家で、享和二年(1802)の酒匂川大洪水で家財を失った金次郎を引き取った当主の万兵衛は金次郎の伯父にあたる。
万兵衛は金次郎に、当時の農民にとって必要 なことや常識を教え、早く一人前にしようという親心から厳しく叱ったりもしたという。
万兵衛の教えと不断の努力とによって、金次郎は一八歳のときに他人の手に渡っていた家を買い戻し、一家復興の第一歩を踏み出した。
金次郎は生涯この万兵衛に、実父母以上の感謝を捧げたという。
二宮万兵衛宅(小田原市教育委員会)
金次郎は伯父万兵衛の仕事を手伝った
家族は生き別れになったが、金次郎はそれに負けることなく、
昼は伯父の仕事を真面目に手伝った。
二宮金次郎の生家の近くの田んぼ。
酒匂川沿いの田んぼ。
松は、二宮金次郎と農民が植えた子孫と言われている。
伯父に小言を言われ、菜種を育てる
伯父に「夜更かしをすると灯油が減る」と小言を言われ十分に勉強することができなかった。
そこで、友人から一握り(90cc)の菜種を借りた。
そして、この仙了川の土手沿いの、荒地を耕して種をまいた。
富水という地名だけあって、水が透き通っています。 コイや小さな魚も沢山泳いでいます。 川面から顔を上げると、富士山が見事に見えます。 |
翌年収穫された菜種
そして翌年に、150倍(7升:12.6L)の菜種を収穫することができました。
油屋に持って行き灯油と交換
それを隣村の油屋喜左衛門の店で、菜種升について二合の割合で灯油に替えてもらった。
そして金次郎はい、思う存分に勉学したという。
それでも叔父に勉強を反対される金次郎
ただし叔父は、「灯油は自分で手に入れたとしても、百姓には学問はらぬ。さっさと寝ることが一番だ」と金次郎を怒ったという。
しかし、万兵衛家の従兄弟が理解を示してくれて、
「もう父は寝ましたよ、大丈夫ですよ」と教えてくれた。
また深夜に衣類を持ってきて、金次郎が勉強をしている部屋の行灯(あんどん)にかけて、明かりが外に洩れるのを防ぎ、金次郎の勉強を助けてくれたという。
自然の素晴らしさから積小為大を発見
金次郎はこの出来事から、自然の素晴らしさを知った。
また、自然の力を生かすのは人間なのだということも学んだ。
こうした体験から「積小為大」(小の積み重ねが大を為す) の法則を発見した。
金次郎の墓の、善栄寺にある、積小為大の金次郎像
油菜栽培地跡とは
当時二宮金次郎が菜種を植えた場所が、今もしっかりと、自然もそのままに残っています。
油菜栽培地跡の説明板
当時の自然をそのまま残したような風景が観られます。
おおよそ200年前の二宮金次郎も、この風景を眺めていたことでしょう。
油菜栽培地跡の場所
場所は、二宮金次郎の生家から歩いて5分ほどの場所にあります。
油菜栽培地跡付近の散策動画
二宮金次郎の生家から油菜栽培地跡に向かう動画です。
よくある質問
主にアブラナ科の植物で、種子から植物油を採取するために栽培される作物です。
これは、江戸時代から明治時代にかけての日本の農業において重要な作物でした。菜種油は食用や照明、潤滑油として利用され、日本の家庭や産業に不可欠でした。
二宮金次郎は農業技術の向上を通じて、農地の収益性を高める方法を模索していました。
彼が提唱した積小為大の考え方は、農業改革においても適用されることができます。
例えば、菜種栽培においても、より良い品種の選択や栽培方法の改善、収穫後の種子の選別など、細部にわたる努力を重ねることで、最終的には収穫量や品質が向上し、農家の収入が増加するという考え方です。
積小為大の考え方を他の四文字熟語で言い換えると、「点滴成河(てんてきせいが、tentei seiga)」が適切です。この言葉は、少しずつの積み重ねが最終的に大きなものになるという意味で、積小為大と同じ考え方を表しています。
点滴成河は、文字通り「点滴が河となる」という意味で、少しの努力や時間が重なることで大きな成果が生まれることを示しています。この四文字熟語は、積小為大と同様に、努力の重要性やコツコツとした取り組みが成功につながることを表しており、ビジネスや人生の様々な局面で応用することができます。
積小為大を英語で何て言うの?
積小為大を日本語と同じ意味合いで表す英語のことわざがあります。どれも小さな積み重ねが大を為すという、継続することの大切さを表しています。
ローマは一日にして成らず
Rome wasn’t built in a day |
大事業は、長い間の努力なしには完成されないというたとえ。 |
継続は成功の父
Continuity of the father of success. |
father は実際のお父さんではなく、「成功の元である」という意味です。 地道に継続することで成功できる。 |
雨垂れ石を穿つ(うがつ)
Constant dropping wears away the stone. |
絶え間ない水滴が石をすり減らす。 constant:絶え間ない wear away:すり減らす |
まとめ
二宮金次郎は、友人から借りた 菜種を仙了川の土手に蒔いた。
翌春、収穫があり、沢山の菜種が取れ150倍もなった。
それを、灯油に交換して、夜間の勉学に使ったという。
この自然の法則から、二宮金次郎は、
の大切さを知った。