二宮金次郎の墓は、栃木県今市市と神奈川県小田原市にあります。
本ページでは、二宮金次郎の生家から100mしか離れていない、善栄寺の二宮金次郎の墓について詳しく紹介します。
この記事の目次
二宮金次郎の墓はどこにあるの?
二宮金次郎の墓は、実は2つあります。
- 栃木県今市市の如来寺
- 神奈川県小田原市の善栄寺
栃木県今市市の「如来寺」
二宮金次郎は、安政3年(1856年)10月20日、日光神領復興仕法中に栃木県今市の報穂役所で、70年の生涯を閉じ、「星顕山如来寺(にょらいじ)」に葬られた。
名 称 | 浄土宗 星顕山 光明院 如来寺 |
所在地 | 〒321-1261 栃木県日光市今市710 |
アクセス方法 | 東武下今市駅より徒歩5分 JR今市駅より徒歩8分日光宇都宮道路今市インターより車で5分 |
神奈川県小田原市の「善栄寺」
栃木県今市市で、二宮金次郎の病床に待していた実弟三郎左衛門(幼名 友吉)が、遺髪と遺歯を抱いて10月26日、小田原市に帰ってきた。
そして、当寺の二宮総本家の墓地の中に埋葬したのがここの墓である。
名 称 | 善栄寺(ぜんえいじ) |
所在地 | 神奈川県小田原市栢山868 |
アクセス方法 | 小田急小田原線 栢山駅から0.6km。徒歩8分 |
善栄寺の山門がある通り。
二宮先生総本家屋敷跡から、せせらぎのある細い路地を通り、善栄寺に向かいます。
道路の横には水路に水が流れており、ゆったりとした気分になれます。
善栄寺の山門と本堂
善栄寺の山門は太い木の梁でしっかりとした作りになっています。
参道の先には本堂が現れます。
善栄寺の緑起
寺宝として下記のようなものがあるそうです。
- 二宮尊徳遺品 書状九通(神奈川県指定重要文化財)
- 尊徳筆 七状
- 子息 弥太郎筆 二状
- 豊臣秀吉 天正十八年 木制札・禁制状
- などなど
山門をくぐると「善栄寺」の本堂があります。
黒塗りの屋根で立派です。
右側には、二宮金次郎 「少年勉学の像」があります。
善栄寺の二宮金次郎 「少年勉学の像」
境内には二宮金次郎 の「少年勉学の像」が設置されている。
一日の仕事を済ませても、毎晩遅くまで 書物を読んでいる金次郎像
金次郎の有名な言葉「積小為大」が刻まれている。
「積小為大」とは「小を積んで大を為す」こと。
「少年勉学の像」の横の石碑
友人から借りた 菜種五勺(一握り)を仙了川の土手に蒔いた。
翌春、七升以上もの収穫があり、使いきれないほどの油が取れた。このことが、「積小為大」の貴重な体験になったといわれる。
この銅像は、少年期に刻苦勉励して「小を積んて大と為す」の自然界の真理を深く学んだ姿である。
二宮金次郎像の持っている本にはなんて書いてあるでしょうか?
この詩の全文は下記です。
「音もなく 香(か)もなく
常に天地(あめつち)は
書かざる経を
繰り返しつつ」
二宮尊徳の「二宮翁夜話」の一文になります。
「積小為大」の原点である、油菜栽培地跡を訪れた。
善栄寺の二宮尊徳先生の墓
善栄寺の、お墓が沢山ある一角に、二宮金次郎(二宮尊徳)の墓があります。
二宮尊徳は今市陣屋で日光仕法の実施中 安政3年(1856) 10月20日に没した。
遺体は茨城県今市の星顕山如来寺に葬りましたが、 歯遺を善栄寺に持ち帰って埋葬しました。
院号は「誠明院功誉報徳中正居士」
二宮家の墓がまとまって建てられています。
真ん中の墓石が「二宮尊徳」の墓になります。
真ん中の墓石の右側に木の棒があります。 今は文字が消えて見えませんが、戒名がしっかり書かれています。 |
二宮尊徳先生の墓石の拡大になります。
右側に戒名の「誠明院功誉報徳中正居士」と刻まれています。
二宮家先祖代々の名前が書かれた墓誌。
「二宮尊徳先生のお墓」の様子を動画にしました。
あなたも、実際に二宮金次郎のお墓に訪れている気分になれます。
まとめ(善栄寺)
二宮金次郎の墓は2つあります
- 栃木県今市市の如来寺
村の復興中に亡くなり埋葬された - 神奈川県小田原市の善栄寺
実弟三郎左衛門が、遺髪と遺歯を持ち帰り、生家の隣の二宮総本家の墓地に埋葬した
あなたの是非、二宮金次郎のお墓に訪れてみてください。