全国の学校に、本を読みながら薪を背負っている銅像があるので「二宮金次郎」の名前は皆さん聞いたことありますよね。
でも、金次郎がどんな幼少期を過ごし、どんな功績を知っている人は少ないと思います。
これを読めば、「二宮金次郎」のことが分かります。
- 金次郎の生まれ育った「生家」
- 積小為大の考えの原点の「拾苗栽培跡」
- 何度も洪水を起こした「酒匂川」
- 尊徳記念館の「展示室」
- そして「お墓」
など実際に、
金次郎が育った場所を紹介しながら、
金次郎について紹介します。
この記事の目次
二宮金次郎とは?
二宮金次郎は薪を背負って本を読む姿の像で有名ですよね。
しかし彼の業績はあまり知られていません。
二宮金次郎は、 生涯をかけて体験の中から創り出した
村を復興し、 豊かにする独自の手法
報徳仕法を指導し、実践しました。
その指導・実践によって人々の生活を立直し、大名・旗本などの 領域の復興を数多く成功させました。
金次郎は皆がゆたかで幸せに暮らせる社会をつくるために、多くの困難と闘い続け、幕府領地 (日光神領) の 復興指導中に69歳で亡くなりました。
二宮金次郎と二宮尊徳と2つ名前あるの?
「二宮金次郎」と「二宮尊徳」と2つの名前があります。
薪を背負った
| 復興に力を注いだ |
二宮金次郎 | 幼名:幼少期から使用していた名前。 自筆文書では「金治郎」と署名しているが、一般には「金次郎(きんじろう)」と表記されている。 |
二宮尊徳 | 武士の位を授けられ「二宮尊徳」となったとされる。 正確には「たかのり」と読むが、「そんとく」という読みで定着している。 |
本記事では、一般的に呼ばれている「金次郎」の名前を使用します。
全国にある二宮金次郎像は、上の画像のような大きな丸太で長さがそろっています。実際にこの薪木を背負っていたの? なので、実際には大きな丸太は背負っていません。 |
尊徳記念館へのアクセス方法
車と電車での行き方を紹介します。
車で行く
東名高速の大井松田ICを降りて、約12分(約5.5Km)で到着します。
MAPコード(カーナビ用) | 57 467 833*60 |
十分に広い駐車場が用意されています。
スイミングスクール「スポーツプラザ報徳」の生徒もこの駐車場を使用します。
特に子供たちが乗り降りするので、場内は安全走行してください。
電車で行く
小田急線の「栢山駅」または「富水駅」から歩いて徒歩15分。
おすすめは、「栢山駅」から栢山神社周りで、報徳記念館へ行く方法。
理由は、二宮金次郎の遺跡を見て回れるからです。
栢山駅=>⑦=>⑥=>⑤=>②=>①尊徳記念館と回ることができます。
一応「栢山駅」または「富水駅」からバスで尊徳記念館へ行くことも可能です。
小田原市 尊徳記念館
小田原市報徳記念館の看板と記念館の建物です。
記念館は、二宮金次郎に関する展示室や、会議室や宿泊室を備えています。
二宮尊徳の「回村の像」
「回村の像」 は、早朝から夜まで村を回って指導し、貧しくなった村々を立直すため先頭に立つ金次郎。
製作者は横田七郎氏です。
等身大の尊徳翁の像。
尊徳翁は身長六尺有余(183cm)、体重は二十四貫(90㎏)という大柄な人だったそうです。
二宮尊徳の教えと考え(報徳思想)
尊徳記念館の前に、「報徳思想」の看板があります。
「報徳思想」とは、至誠、勤労、分度、推譲を実行する考え。
これを実行することを「報徳仕法」と言います。
至誠(しせい) | うそいつわりのない真心のこと。 尊徳の生き方すべてをつらぬいている精神 |
勤労(きんろう) | 自分や地域の向上のために自分にできる仕事にはげむこと。 |
分度(ぶんど) | 自分の置かれた状況や立場にふさわしい生活をおくること。 |
推譲(すいじょう) | 分度によって生まれた力やお金を 自分の将来や社会に譲ること。 |
二宮金次郎の生家
実際に二宮金次郎が住んでいた、約200年前の江戸時代中期の生家をそのまま保存されています。
かやぶき屋根の外観
尊徳記念館の入り口を入って左側に、かやぶき屋根の二宮金次郎が幼少期を過ごした生家ががあります。
生家の横には、「二宮尊徳誕生之地」と書かれて大きな石碑があります。
二宮金次郎の生家の前には松の木があります。
生家の前には松があります。
金次郎は、松の苗を買って、洪水を防止するために、酒匂川沿いに植えていました。
金次郎の生家の軒下
二宮金次郎の生家の裏側。
台所がある格子の窓。
この右側には、本家の伯父の家があります。
生家の家の中(当時の暮らしぶり)
部屋の真ん中に、囲炉裏があります。
金次郎の家族は、囲炉裏を囲って食事や会話をしたのでしょう。
座繰(ざぐり)(左側)と糸車(いとぐるま)(右側)が展示してあります。
蚕(カイコ)が作った繭(まゆ)から、糸を取る道具です。
座繰り(ざぐり)
蚕(カイコ)の繭(まゆ)から、生糸をつむぐ道具。
取っ手を回すと、生糸が巻き取られる。
この「座繰り」は明治時代に現在の川崎市内で製造されていたいものです。
土間には、当時の生活道具が並べられています。
※コロナの影響により中に入ることができませんでした。
立派な梁です。300年前の梁をそのまま使用しています。
寛政3年(1791年)8月5日、南関東を襲った暴風で、酒匂川が氾濫しました。
金次郎の生家がある小田原市の栢山付近にも濁流が流れ込みました。
金次郎はこの梁の上に登って一夜をやり過ごしたそうです。
畳が敷かれた客間
かやぶき屋根
今では珍しいかやぶき屋根。
屋根にはスプリンクラーが設置されています。
二宮金次郎の生家は、神奈川県文化財に指定されています。
文化財が火事にあったら大変なので、スプリンクラーが設置されているのですね。
対象建物 | 二宮尊徳生家一棟 かや葺寄り棟造 |
指定機関 | 神奈川県教育委員会 |
文化財指定書番号 | 記号番号 建の一四 |
指定日 | 昭和三十八年三月五日 |
かやぶき屋根は20~30年に一度吹き替えをする必要があるそうです。
吹き替えに約1,000万円ほど必要とのこと。
個人だと維持できないですね。
綺麗に切り揃えたかやぶき屋根の軒下。
二宮金次郎の生家の様子を動画にしました。
実際にあなたが生家を訪れている雰囲気を味わえます。
いろり燻蒸で茅葺屋根を守る
尊徳生家を良好な状態のまま保全するため、いろりで火を焚いて、茅葺屋根を守っています。
いろりに火を焚き、いぶすことで、
- 茅葺き屋根を乾燥させる
- 虫などの発生を抑える
働きがあります。
この作業はボランティアグループ「二宮尊徳いろりクラブ」が行っています。
私は、クラブのメンバーの方に、二宮金次郎の事、生家の事、茅葺屋根のことなど色々お聞き出来ました。
いろり燻蒸は、毎週第2・第4土曜日の午前9時00分〜午前11時30分で行われています。
尊徳記念館 展示室
尊徳記念館の立派な正面玄関。
尊徳記念館の展示室受付(左側)と入口(右側)。
正面の受付で入場券を購入します。
個人 | 一般200円。小・中学生 100円 |
団体 | 一般 150円。高・中学生 120円、小・中学生 80円 (20人以上) |
尊徳グッズを販売しています。
あなたも、記念に1つどうですか?
二宮金次郎の木造の像
展示室の説明です。
右下の入り口から入り、金次郎の少年時代から町の復興までを知ることができます。
- 少年時代の金次郎
- 青年時代の金次郎
- 桜町の村づくり
- 小田原藩内の村づくり
- 各地の村づくりと弟子たち
小田原周辺のジオラマです。
真ん中のくぼんでいるところが二宮金次郎が住んでいた小田原市になります。
足柄平野の真ん中を流れているのが、氾濫を繰り返した酒匂川になります。
左上には富士山があります。金次郎は毎日富士山を眺めていたのでしょう。
木の棒で砂の上に字を書いて覚えます。
二宮金次郎 小田原領民(小田原城周辺)の救済の様子
二宮金次郎のゆかりの地を紹介
尊徳記念館近くを歩いて行ける、二宮金次郎のゆかりの地を紹介します。
拾苗栽培跡の碑
尊徳記念館の北側約100mに「拾苗栽培跡」があります。
「拾苗栽培跡」広場
「拾苗栽培跡」から箱根方面を眺められます。
晴れていれば、富士山まで見ることができます。
伯父万兵衛宅に身を寄せていた尊徳は、 夜間の勉学に必要な灯油の消費を心配し、 一握りの菜種を分けてもらい、 余暇に仙了川の堤に接する砂地に蒔きました。
翌年、 7升 (12.6 祝) ほどの菜種を得て、 これを 1 升5合 (2.7) の灯油にかえて、 夜間の勉学に備えることができました。
菜種と捨苗の栽培体験から 「小を積んで大を為す」 という自然の理を悟りました。
小田原の報徳小学校では、「拾苗栽培跡」で尊徳の教えを学びながら、稲作の体験ができます。
6月には、紫陽花を見ることができます。
二宮先生総本家屋敷跡
栢山二宮氏の総本家の場所。金次郎が11歳の頃に総本家は血筋が絶えた。
しかし、売れ残った稲荷社の社地が荒れ地のようになったため、金次郎はここを囲って竹林を育てて復興資金の元を作り、50年間の努力の末に、ついに復興に成功した。
マスクを付けた二宮金次郎像
尊徳記念館から二宮先生総本家屋敷跡に向かいます。
洪水を繰り返した酒匂川
金次郎の生涯に大きな影響を与えた酒匂川。
動画の流れは穏やかです。しかし当時は、大雨の時には堤防を破壊して、洪水を何回かおこしていました。
金次郎や村々の人々は、協力して酒匂川の土手を修復をしていました。
酒匂川の土手には、洪水を防止するための松が植えられており、田んぼでは田植えが行われている。
二宮金次郎の墓
二宮金次郎の墓は、栃木県今市市と神奈川県小田原市にあります。
二宮金次郎の生家から300mしか離れていない、善栄寺の二宮金次郎の墓があります。
このページで詳しく説明します。
私が二宮金次郎を好きになった本
私は、童門 冬二さんの「全一冊 小説 二宮金次郎」の本を読んで、金次郎のが好きになりました。
3回以上読み返しました。
かやぶき屋根の生家、酒匂川の氾濫と修復、拾苗栽培跡などなどが小説に書かれています。
この記事の写真を思い出しながら読むと面白く読めると思います。
尊徳記念館のまとめ
尊徳記念館では、
- 二宮金次郎の約300年前のかやぶき屋根の生家を見られる
- 展示室では、金次郎の幼少期から功績までを知ることができる
- 記念館周りには、金次郎のお墓、拾苗栽培跡の碑などを訪れることができる