
小田原城天守閣に入るなら、中で何が見られるのか、料金に見合うのか、最上階からどこまで見えるのかが気になるところだと思います。
天守閣の中は、1階から5階まで階段で上りながら、江戸時代、戦国時代、そして明治以降と、小田原城の歴史を順にたどる展示になっています。甲冑や刀の展示室を抜けて最後の階段を上りきると、急に視界が開け、相模湾や真鶴半島、小田原の街並みが広がります。この記事では、各階の展示内容と私が実際に写真に収めてきた注目の展示品、展望デッキからの眺め、そして2026年3月に改定された入館料までまとめて紹介します。

天守閣の展示では、戦国時代の小田原城の姿も紹介されています
小田原城天守閣の概要

現在の天守閣は、昭和35年(1960年)に市制20周年記念事業として復興されたものです。宝永年間の再建時に作られた模型や設計図をもとに、江戸時代の姿を鉄筋コンクリートで外観復元しています。復興の際には「瓦一枚運動」が行われ、多くの市民から寄付が集まりました。平成28年(2016年)には初の大改修を終え、展示内容も一新されています。
建物は3重4階の天守櫓に付櫓と渡櫓を付けた複合式で、石垣を含めた高さは地上38.7m。小田原市は天守閣の高さを基準にした高度規制を設けていて、天守閣より高い建物は建てられません。お城が今も街のシンボルであり続けている理由のひとつです。
小田原城と北条氏、天守閣の歴史
小田原城は15世紀に大森氏の居城となり、その後、北条早雲(伊勢宗瑞)が手に入れてから、北条氏5代・約100年の本拠地として発展しました。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて城下町ごと囲む総構が築かれたことでも知られています。
北条氏が滅んだ後は江戸幕府の重要な城となり、寛永11年(1634年)には三代将軍・徳川家光が天守閣に上ったという記録も残っています。元禄16年(1703年)の大地震でほとんどの建物が倒壊しましたが、天守閣は宝永3年(1706年)に再建され、明治3年(1870年)の廃城まで小田原のシンボルとしてそびえていました。今の天守閣の外観は、この宝永期の姿がもとになっています。
料金・開館時間などの基本情報
2026年3月1日から入館料が改定され、大人1,000円になりました。天守閣の入館券で常盤木門SAMURAI館にも入館できるようになっています。
| 開館時間 | 9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
|---|---|
| 休館日 | 12月第2水曜日(館内整理)、12月31日〜1月1日 |
| 入館料 | 大人1,000円/小・中学生300円/未就学児無料 ※SAMURAI館にも入館可 |
| 市民料金 | 小田原市民は大人500円/小・中学生200円(住所確認書類の提示が必要) |
| 団体 | 30名以上:大人800円/小・中学生240円 |
| お問合せ | (一社)小田原市観光協会 0465-22-3818 |
チケットは天守閣の窓口のほか、オンラインでも事前に購入できます。障がい者手帳の提示で本人と付添1名が無料になるなど、割引の詳細は公式サイトで確認できます。
小田原駅からの道順や駐車場、天守閣までの門をたどる登城ルートは、城址公園の記事で詳しく紹介しています。
小田原城址公園を正規登城ルートの馬出門から天守閣まで紹介。駐車場事情や階段の少ない北入口ルートもまとめています。
続きを読む ›天守閣の各階の展示内容

天守閣の中は、フロアごとにテーマが分かれています。下の階から順に上っていくと、江戸時代→戦国時代→美術工芸品と発掘調査→明治以降、と時代を行き来しながら小田原城の歴史をたどる構成です。
| 階 | 展示テーマ |
|---|---|
| 1階 | 江戸時代の小田原城:江戸の西を守った城の役割と歴代城主 |
| 2階 | 戦国時代の小田原城:小田原北条氏の足跡 |
| 3階 | 美術工芸品・発掘調査の成果(企画展示室・回廊) |
| 4階 | その後の小田原城:明治から現代まで(時期により展示替えあり) |
| 5階 | 小田原城天守再現:摩利支天像をまつった空間の再現/展望デッキ |
天守閣は階段で上る、その分だけ最上階が特別

各フロアの移動は階段です。ところどころ傾斜のきつい段もあるので、足元に気をつけながら上ります。展示を見ながら少しずつ高さが上がっていき、最後の階段を上りきった先に展望デッキが待っている、という流れです。
展望デッキからの絶景と撮影ポイント

展望デッキから相模湾を望む
最上階の展望デッキは標高約60m。四方をぐるりと歩けるので、相模湾、小田原の市街地、箱根の山並みと、向きを変えるたびに違う景色が楽しめます。よく晴れた日には房総半島まで見えるそうです。

南西の方角には真鶴半島が伸びています
写真を撮るなら、南西側の真鶴半島の方角がおすすめです。海岸線がゆるやかな弧を描いて半島へ続く様子が、横位置の構図にきれいに収まります。反対の北東側からは、小田原駅周辺のビル群と線路を見下ろせます。

小田原駅方面の眺め
小田原城天守閣の注目の展示品
ここからは、館内で見られる展示品の中から、特に印象に残ったものを紹介します。展示は時期によって入れ替わることがあるので、訪れたときに同じものが並んでいるとは限りません。
天守閣の高さは全国7位

館内には、全国の天守の高さを比べた展示があります。小田原城天守は石垣の上からの高さが27.2mで、全国7番目。平面の面積が大きいので外から見ると高さを感じにくいのですが、実はかなりの大きさです。
| 順位 | 城名(公式サイト) | 天守の高さ | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | 大阪城 | 41.5m | |
| 2 | 名古屋城 | 36.1m | 天守は閉館中(外観のみ) |
| 3 | 島原城 | 33.0m | |
| 4 | 熊本城 | 32.5m | |
| 5 | 姫路城 | 31.5m | 現存天守 |
| 6 | 小倉城 | 28.7m | |
| 7 | 小田原城 | 27.2m | |
| 8 | 広島城 | 26.6m | 2026年3月に天守閉城(外観のみ) |
城名をタップすると、各城の公式サイトが開きます。名古屋城と広島城は現在天守の中に入れないので、訪れる前に公式サイトで最新の公開状況を確認しておくと安心です。
石垣(天守台)の高さ11.5mを足すと、総高は38.7mになります。
江戸時代に3度建てられた天守
小田原城の天守は、3重の外観に4階の内部構造を持ち、付櫓や続櫓を組み合わせた複雑な造りです。天守閣の展示では、江戸時代に天守が2度再興されたという、小田原城ならではの歴史も紹介されています。

初代(慶長度天守):望楼型の天守で、寛永7年(1630年)以前に失われたと考えられています。
2代目:寛永10年(1633年)の地震の後に再建。元禄16年(1703年)の大地震で倒壊しました。
3代目(宝永度天守):宝永3年(1706年)に再建され、明治3年(1870年)の廃城で解体。現在の天守はこの姿を復元しています。
しゃちほこ

屋根の頂に据えられるしゃちほこは、水を呼ぶ魚の姿から火除けの守り神とされてきました。館内では間近で見られるので、屋根の上ではわからない鱗の彫りや、反り返った尾の迫力をじっくり観察できます。

ういろうの看板

印籠の形をしたこの看板は、小田原の外郎(ういろう)家が作ってきた薬「透頂香(とうちんこう)」、通称「ういろう」の看板です。ういろうは北条氏の時代から続く由緒ある薬で、江戸時代には全国に名が知られるようになりました。

その知名度を広めたのが、二代目市川團十郎が演じた歌舞伎「外郎売(ういろううり)」です。早口の長台詞で知られるこの演目は、今も歌舞伎十八番のひとつとして受け継がれています。
小田原鉢の甲冑

後頭部が盛り上がった「阿古陀形(あこだなり)風」の兜が特徴の甲冑です。やや斜めに傾いたこの兜鉢は「小田原鉢」と呼ばれます。兜鉢に「相模」「相州小田原」といった銘が刻まれていることが、名前の由来です。

小田原での甲冑づくりは、大森氏に招かれた明珍派が始めたとされ、北条氏の時代にも受け継がれました。ただ、江戸時代の甲冑師については詳しいことが分かっていません。
黒漆本小札紺糸威胴丸具足

江戸時代に入ると、甲冑は戦場で使う道具から、身分や格式を示す装いへと役割が変わっていきました。この具足は古い様式を再現した復古調のもので、小さな札(さね)を一枚ずつ綴じ合わせた本小札(ほんこざね)で作られています。手間のかかる造りから、大名や上級武士が用いた高級品と考えられています。
刀「阿州泰吉作」

「阿州泰吉作」の銘を持つこの刀は、現在の徳島県にあたる海部(かいふ)の刀工・泰吉によるものです。泰吉は海部を代表する古刀期の刀工で、永正から天正にかけての年紀銘が残り、数代にわたって作刀が続いたことが分かっています。

この一振りは、永正・大永年間に活躍した泰吉の作とされています。ガラス越しに刃文を追っていくと、500年近く前の鉄とは思えない冴えがあります。
花鳥図 岡本秋暉筆

小田原市指定文化財の「花鳥図」は、江戸時代後期に岡本秋暉が描いたとされる杉戸絵です。かつては小田原城二の丸御屋形の正面玄関を飾っていました。

4つの画題が表裏2面ずつに描かれていて、「岩に孔雀図」の裏に「桑の木に鳥図」、「鯉に松藤図」の裏に「梅花図」が配されています。

「鯉に松藤図」では、杉板の木目をそのまま水面の揺らぎに見立てていて、近づいて見るほど面白い作品です。岡本秋暉は小田原藩士でありながら、幕末の花鳥画家として高く評価された人物です。
天守閣とあわせて巡りたい小田原城址公園

小田原城址公園の全体図
天守閣のまわりには、甲冑や刀剣を展示する常盤木門SAMURAI館(天守閣の入館券で入館可)、風魔忍者について体験しながら学べる小田原城NINJA館(別料金)、ひと休みできる本丸茶屋などがあります。馬出門から住吉橋、銅門、常盤木門と門をたどって天守閣へ向かうと、城の守りの造りも一緒に楽しめます。
天守閣の見学後は、城に隣接する報徳二宮神社への参拝や、小田原駅周辺でのランチもおすすめです。
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小田原城天守閣の入館料はいくらですか?
2026年3月から大人1,000円、小・中学生300円です。未就学児は無料で、同じ入館券で常盤木門SAMURAI館にも入れます。小田原市民は大人500円です。
天守閣は何時まで入れますか?
開館は9:00〜17:00で、入館は16:30までです。
天守閣の中は何階建てですか?
外から見ると3重ですが、中は4階建ての天守櫓の上に展望デッキがあり、展示は1階から5階まであります。移動は階段です。
天守閣の高さはどのくらいですか?
天守の建物部分は27.2mで全国7番目。石垣を含めた総高は38.7mです。
チケットは事前に買えますか?
オンラインで事前購入できます。購入ページは小田原城公式サイトのチケットページから案内されています。
まとめ:小田原城天守閣は展示を追って最上階へ
小田原城天守閣は、階段を一段ずつ上りながら、江戸時代から戦国時代、そして現代へと小田原城の歩みをたどれる場所です。しゃちほこや小田原鉢の甲冑、秋暉の花鳥図といった展示を見たあとに展望デッキへ出ると、相模湾と真鶴半島の広がりがいっそう印象に残ります。
入館料は2026年3月から大人1,000円になりましたが、SAMURAI館もあわせて見られるようになりました。天守閣だけで終わらせず、城址公園の門や橋もたどってみてください。
天守閣のあとにもう一か所足をのばすなら、小田原城と歴史のつながりが深い松原神社もおすすめです。戦国時代には北条氏が社領を寄進して崇敬し、北条氏康が小田原の海岸に現れた大亀を吉兆として祝ったという逸話も残っています。江戸時代に入ってからも稲葉氏・大久保氏と歴代の小田原城主が崇敬を続け、社費は藩の財政でまかなわれ、小田原宿19町の総鎮守とされてきました。小田原城の城主たちが代々守ってきた神社を訪ねると、城下町としての小田原の姿がより立体的に見えてきます。
北条氏から江戸時代の歴代城主まで崇敬された小田原の総鎮守、松原神社。御朱印やご利益、境内の見どころを紹介しています。
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