
薪を背負って本を読む少年の像は、全国の小学校で一度は目にしたことがあると思います。けれど、その二宮金次郎がどこで生まれ、どんな景色の中で育ったのかまで知っている人は、意外と多くありません。
答えは、私が暮らしている神奈川県の小田原です。金次郎は小田原市北部の栢山(かやま)の農家に生まれ、少年時代を酒匂川のほとりで過ごしました。大人になってからは小田原藩の城下で力を認められ、今では小田原城の一角に神様として祀られています。
面白いのは、小田原のゆかりの地が「少年・金次郎の栢山」と「大人・尊徳の駅前と城下」の2つにきれいに分かれていることです。この記事では、実際に歩いてきた二宮金次郎ゆかりの名所を、生まれ育った栢山から小田原駅前・城下の順に案内し、1日で両方をめぐるモデルコースまでまとめました。

栢山に残る二宮金次郎の生家。江戸時代中期の茅葺屋根がそのまま残っています
- 金次郎の生涯と、小田原に残るゆかりの地の対応表
- 生誕の地・栢山エリアの4スポット(生家・油菜栽培地跡・善栄寺ほか)
- 小田原駅前・城下エリアの5スポット(報徳二宮神社・報徳博物館ほか)
- 2エリアを1日でめぐるモデルコースと、休館日の落とし穴
- 2026年10月18日(日)開催の尊徳祭の見どころ
二宮金次郎は小田原・栢山で生まれ育った
二宮金次郎(のちの二宮尊徳)は、天明7年(1787年)、相模国足柄上郡栢山村、今の小田原市栢山に生まれました。二宮家はもともと中流の地主でしたが、近くを流れる酒匂川がたびたび氾濫し、父と母を相次いで亡くしたことで一家は離散。金次郎は16歳から伯父・万兵衛の家に身を寄せ、働きながら学び続けます。
やがて自分の家を立て直した金次郎は、小田原藩の家老・服部家の家計再建を任されて成功し、藩主・大久保忠真に認められていきます。その後は栃木の桜町領をはじめ、北関東各地の村の復興に生涯をささげ、安政3年(1856年)、日光神領の復興のさなかに今市で亡くなりました。
こうして見ると、金次郎の人生の舞台はそのまま小田原の地図に重なります。少年時代の苦労と工夫は栢山に、大人になってからの仕事と信仰は小田原城下に、それぞれ足跡が残っているのです。
| 年 | 金次郎の出来事 | 小田原で出会える場所 |
|---|---|---|
| 1787年(0歳) | 栢山村の農家に生まれる | 二宮尊徳生家(栢山) |
| 1791年(4歳) | 暴風で酒匂川が氾濫、栢山にも濁流が流れ込む | 生家に残る当時の梁(栢山) |
| 12歳ごろ | 病気の父に代わり酒匂川の堤防普請に出る | 酒匂川の堤(栢山周辺) |
| 14歳ごろ | 飯泉観音で観音経を聞き、心を動かされる | 飯泉観音(飯泉) |
| 16〜17歳 | 一握りの菜種を育てて灯油に替え、捨てられた苗から米を実らせる | 油菜栽培地跡・捨苗栽培地跡(栢山) |
| 1814年ごろ | 小田原藩家老・服部家の家計を立て直す | 小田原城下 |
| 天保の大飢饉 | 藩の米蔵を開いて領民を救う | 報徳二宮神社の拝殿礎石(城内) |
| 1856年 | 今市で亡くなり、遺髪と遺歯が栢山へ | 善栄寺の墓(栢山) |
| 1894年 | 金次郎を祀る神社が創建される | 報徳二宮神社(城内) |
名前についても少し触れておきます。「金次郎」は幼いころからの通称で、「尊徳」は武士に取り立てられてからの名乗りです。正しい読みは「たかのり」ですが、今は「そんとく」の読みで広く知られています。この記事では、親しみのある「金次郎」を中心に使います。
ゆかりの地は「駅前・城下」と「栢山」の2エリア
小田原にある金次郎ゆかりの地は、生誕の地・栢山と、小田原駅前・城下の大きく2つのエリアに分かれます。小田原駅から小田急線で4駅北へ行くと栢山駅で、どちらのエリアも電車だけで回れる距離です。
1787年
栢山で誕生
4駅
小田原→栢山(小田急線)
200円
尊徳記念館 展示室
300円
報徳博物館 入館料
| 項目 | 栢山エリア | 小田原駅前・城下エリア |
|---|---|---|
| 出会える金次郎 | 少年時代の「金次郎」 | 大人になった「尊徳」と、祀られた神様としての姿 |
| 主なスポット | 尊徳記念館・生家、油菜栽培地跡、捨苗栽培地跡、善栄寺 | 報徳二宮神社、きんじろうカフェ、報徳博物館、箱根口ガレージ、金次郎広場 |
| アクセス | 小田急線 栢山駅・富水駅から徒歩約15分 | 小田原駅から徒歩(金次郎広場は駅直結) |
| 雰囲気 | 田んぼと川が広がる、のどかな農村風景 | 城下町の賑わいと、小田原城の緑 |
| 車の場合 | 尊徳記念館に無料駐車場あり(約46台) | 専用駐車場はなく、周辺の有料駐車場を利用 |
この記事では、金次郎の人生の順番に合わせて栢山エリアから紹介します。ただ、時間が半日しかないなら、駅から歩ける城下エリアの報徳二宮神社を優先するのがおすすめです。
栢山エリアで少年金次郎の足跡をたどる
まずは金次郎が生まれ育った栢山から歩きます。小田急線の栢山駅を降りると、景色は一気にのどかになります。田んぼの向こうに箱根の山並み、晴れた日には富士山。金次郎が毎日見ていたであろう風景の中に、生家や菜種を育てた土手がそのまま残っています。尊徳記念館を中心に、どのスポットも歩いて回れる範囲です。
尊徳記念館と二宮尊徳生家
栢山エリアの中心が、小田原市の尊徳記念館です。敷地内には金次郎が生まれ育った茅葺屋根の家が残り、神奈川県指定の重要文化財になっています。一家離散のあと一度は売却された家を、昭和35年(1960年)に誕生の地へ戻したものです。
家の中には囲炉裏と、4歳の金次郎が洪水の夜に登って一夜をしのいだと伝わる梁が残っています。隣の記念館の展示室では、少年時代から各地の村の復興までを5つのゾーンでたどれます。生家の見どころやいろり燻蒸、展示室の詳しい内容は、上の記事で写真とともに紹介しています。
| 住所 | 神奈川県小田原市栢山2065-1 |
|---|---|
| 展示室 | 9:00〜17:00(最終入館16:30) |
| 休館日 | 年末年始(12月28日〜1月3日) |
| 観覧料 | 一般200円、小・中学生100円、未就学児無料 |
| アクセス | 小田急線 栢山駅・富水駅から徒歩約15分 |
| 駐車場 | 無料(約46台) |
油菜栽培地跡と捨苗栽培地跡
金次郎の代表的な教え「積小為大(小を積んで大を為す)」が生まれた場所が、栢山には2か所あります。
1つめは生家から歩いて5分ほどの油菜栽培地跡。夜の読書で灯油を使うことを伯父に咎められた金次郎は、友人から借りた一握りの菜種を仙了川の土手に蒔き、翌春には7升ほどの菜種を収穫して灯油に替えました。田んぼの一角に石碑と説明板が立つだけの控えめな史跡ですが、仙了川の水は驚くほど澄んでいて、コイが悠々と泳いでいます。
2つめは尊徳記念館の北側にある捨苗栽培地跡です。田植えのあとに捨てられた苗を拾い集め、洪水で荒れた土地に植えたところ、秋には1俵の籾が実ったと伝わります。今も地元の子どもたちがこの場所で田植えを体験していて、200年以上前の教えが今も続いているのが印象的です。
酒匂川の堤と二宮総本家跡

金次郎の人生を大きく揺さぶったのが、栢山のそばを流れる酒匂川です。今は穏やかな流れですが、当時は大雨のたびに堤防が壊れ、田畑が流されました。12歳ごろの金次郎は、病気の父に代わって堤防の普請に出ましたが、子どもでは一人前の働きができないと、夜なべでわらじを作って大人たちに配ったと伝わります。洪水を防ぐために金次郎が松の苗を植えたという話もあり、生家の前の松の木を見ると、その話を思い出します。
生家の近くには、金次郎が11歳のころに途絶えた二宮総本家の屋敷跡もあります。金次郎はここで竹林を育てて資金をつくり、長い年月をかけて総本家を再興しました。一人の家の立て直しから村の立て直しへ、という後の仕事の原点のような場所です。
善栄寺の墓と少年勉学の像
金次郎のお墓は、栃木県日光市今市の如来寺と、ここ栢山の善栄寺の2か所にあります。今市で亡くなった金次郎の遺髪と遺歯を実弟の三郎左衛門が持ち帰り、二宮家の墓所に納めたのが善栄寺のお墓です。
境内には、筆と書物を手にした「少年勉学の像」もあります。薪を背負って歩く姿ではなく、座って静かに学ぶ金次郎で、台座には「積小為大」の文字。油菜栽培地跡を見たあとに訪れると、同じ逸話が一本の線でつながります。善栄寺は栢山駅から徒歩8分ほどなので、駅からの行き帰りに立ち寄りやすい場所です。
小田原駅前・城下エリアで出会う大人の尊徳
栢山で少年時代をたどったら、小田原駅に戻って城下へ向かいます。このエリアの主役は、金次郎を神様として祀る報徳二宮神社です。明治に創建された神社と、資料を守り伝える報徳博物館が、金次郎の功績を今に伝える場所。一方、箱根口ガレージやミナカ小田原の金次郎広場は、金次郎の教えを観光で身近に感じてもらうために近年つくられたスポットです。神社を中心に、新しいスポットも組み合わせて歩くのがおすすめです。
報徳二宮神社
小田原城址公園の一角、二の丸小峰曲輪に鎮座するのが、金次郎を御祭神とする報徳二宮神社です。創建は明治27年(1894年)で、学業成就や商売繁盛のご利益で知られています。
参道で出迎えてくれる薪を背負った金次郎像は、昭和3年に寄進されたもの。同じ型の像は全国の小学校向けに作られましたが、戦時中の金属供出でほとんどが失われ、ここに残る一体が貴重な存在になっています。拝殿の礎石には、天保の大飢饉で金次郎が開いたという小田原藩の米蔵の礎石が使われていて、少年像とはまた違う「大人の尊徳」の仕事ぶりが伝わってきます。
きんじろうカフェ
報徳二宮神社の境内「杜のひろば」にあるオープンカフェです。金次郎が日々口にしていたとされる大豆入りの味噌汁「呉汁(ごじる)」のセットや、金次郎形のクッキーがのったソフトクリームなど、ここでしか味わえないメニューがそろっています。木々に囲まれたテラス席は風が通って心地よく、私はアイスコーヒーだけでもしばらく座っていたくなりました。呉汁の提供は11:00〜15:00なので、城下めぐりのお昼に合わせるとちょうどいいと思います。
報徳博物館
報徳二宮神社のすぐ近くにあるのが、金次郎の遺品や関係資料を展示する報徳博物館です。神社の宝物殿として公開されていた資料のうち、134点が「二宮尊徳関係資料」として神奈川県の重要文化財に指定されたのを機に、昭和58年(1983年)に独立した博物館として開館しました。
生涯を年代順にたどる展示で、「薪を背負った少年」のその後に何をした人なのかがよく分かります。注意したいのは休館日で、毎週水・木・金曜日が休館です。平日に城下をめぐる予定なら、曜日を先に確認しておくと安心です。
| 住所 | 神奈川県小田原市南町1-5-72 |
|---|---|
| 開館時間 | 9:30〜16:30(最終入館16:00) |
| 休館日 | 毎週水・木・金曜日、年末年始、祝祭日の翌日ほか |
| 入館料 | 大人(中学生以上)300円、小学生以下無料 |
| 電話 | 0465-23-1151 |
箱根口ガレージ
国道1号線沿いにある箱根口ガレージ(報徳広場)は、金次郎の報徳思想をもとに小田原を元気にしようと令和3年に開業した施設です。かつて小田原駅と箱根板橋の間を走っていた水色と黄色の路面電車が展示され、その隣には金次郎像と、きんじろうカフェの姉妹店「きんじろうCAFE&GRILL」が並んでいます。江戸の金次郎と昭和の路面電車が同じ景色に収まる、ちょっと不思議な場所です。
ミナカ小田原・金次郎広場の夫婦像
小田原駅東口から連絡通路でつながるミナカ小田原の3階に、城下町を再現した金次郎広場があります。ここに立っているのは、2019年公開の映画「二宮金次郎」を記念して設置された、金次郎と妻・なみのブロンズ像です。
赤い和傘の下でひもの屋や和菓子屋の食べ歩きを楽しみながら、ふと顔を上げると夫婦像が見守っている。駅直結なので、城下めぐりの締めくくりや、帰りの電車を待つ間にも立ち寄れる気軽なスポットです。夜にはライトアップされ、昼とは違う落ち着いた雰囲気になります。
報徳二宮神社と報徳博物館は小田原城址公園の南側に近く、小田原駅から徒歩15分ほどです。小田原城の中を通り抜けて向かえば、天守閣の見学とあわせて歩けます。箱根口ガレージは駅から約1.3kmで神社から歩ける距離、金次郎広場は小田原駅直結です。
車の場合、このエリアには専用の無料駐車場がありません。報徳二宮神社の報徳会館にある有料駐車場か、小田原駅周辺のコインパーキングを利用してください。
2エリアを1日でめぐるモデルコース
おすすめは、午前に栢山で少年時代をたどり、午後に城下で大人の尊徳に会う順番です。金次郎の人生を時系列で追いかける形になるので、最後に報徳二宮神社へ参拝するころには、少年像の見え方がすっかり変わっているはずです。
01
午前:栢山駅から善栄寺へ
小田原駅から小田急線で栢山駅へ。駅から徒歩8分ほどの善栄寺で、少年勉学の像とお墓にお参りします。
02
午前:生家と尊徳記念館、栽培地跡
生家と展示室を見学し、油菜栽培地跡・捨苗栽培地跡まで歩きます。栢山エリア全体で2〜3時間が目安です。
03
昼:きんじろうカフェで呉汁
小田原駅に戻り、小田原城を抜けて報徳二宮神社へ。金次郎が食べていた呉汁でお昼にします(提供は11:00〜15:00)。
04
午後:報徳二宮神社と報徳博物館
参拝して昭和3年の金次郎像を見たら、報徳博物館へ。水・木・金曜日は休館なので、この日程なら土日月が組みやすいです。
05
夕方:箱根口ガレージから駅の金次郎広場へ
路面電車を眺めてひと休みしたら、駅へ戻って金次郎広場の夫婦像にあいさつ。暗くなるとライトアップされた姿が見られます。
車で回る場合は、尊徳記念館の無料駐車場を拠点に栢山エリアを歩き、城下エリアは小田原駅周辺の有料駐車場に停めて徒歩で回るのが効率的です。車なら、栢山エリアのあとに酒匂川を渡って飯泉観音へ寄り、そこから城下へ向かうルートもおすすめです。箱根や湯河原と組み合わせて小田原に泊まるなら、宿は早めに押さえておくと選択肢が広がります。
足をのばすなら、金次郎発心の地・飯泉観音へ
時間に余裕があれば、酒匂川の東側、小田原市飯泉にある飯泉観音(飯泉山勝福寺)にも足をのばしてみてください。坂東三十三観音の第五番札所で、少年時代の金次郎がこの地で旅の僧から観音経の話を聞き、一念発起したと伝わる「発心の地」です。
本堂の奥、大日堂のそばには金次郎の像が立っています。栢山で少年時代の工夫を見て、城下で大人の尊徳に会ったあとに訪れると、その人生の出発点がこの境内にあったのだと実感できます。宝永3年(1706年)に再建された朱塗りの本堂や、推定樹齢700年の大イチョウ、龍頭船に十一面観音が乗る手水舎など、金次郎以外の見どころも多いお寺です。仁王門の前に無料駐車場があるので、車なら栢山からそのまま回れます。
10月は尊徳祭、生家の中に上がれる特別な日
金次郎の命日は10月20日。これにちなんで、尊徳記念館では毎年10月に尊徳祭が開かれています。2026年は10月18日(日)の開催で、今年で66回目です。
- 生家の特別公開:普段は入れない部屋に上がれます(9:00〜17:00)。午前中はいろり燻蒸の見学も
- 展示室が無料:尊徳記念館の展示室を無料で見学できます
- 浪曲「二宮金次郎伝」:生家を舞台に上演(11:50〜12:50、雨天時はロビー)
- 映画「二宮金次郎」上映:講堂で上映(14:20〜16:20、定員120名)
- 報徳市:地元の野菜やお菓子、キッチンカーが前庭に並びます(9:30〜15:00)
会場は尊徳記念館・二宮尊徳生家(小田原市栢山2065-1)。内容は変更される場合があるので、出かける前に小田原市の案内ページで確認してください。
二宮金次郎と小田原のよくある質問
二宮金次郎はどこの出身ですか?
神奈川県小田原市栢山の出身です。江戸時代の地名では相模国足柄上郡栢山村で、生まれた家は今も尊徳記念館の敷地内に残っています。
二宮金次郎と二宮尊徳は同じ人ですか?
同じ人物です。金次郎は幼いころからの通称、尊徳は武士に取り立てられてからの名乗りです。尊徳の正しい読みは「たかのり」ですが、一般には「そんとく」で知られています。
薪を背負った金次郎像は小田原のどこで見られますか?
代表的なのは報徳二宮神社の参道にある昭和3年の像です。箱根口ガレージにも金次郎像があり、善栄寺には座って学ぶ「少年勉学の像」、ミナカ小田原の金次郎広場には妻・なみとの夫婦像があります。発心の地とされる飯泉観音の境内にも像が立っています。
二宮金次郎のお墓はどこにありますか?
栃木県日光市今市の如来寺と、小田原市栢山の善栄寺の2か所です。善栄寺には、実弟が持ち帰った遺髪と遺歯が納められています。
2つのエリアを回るのにどれくらい時間がかかりますか?
栢山エリアで2〜3時間、城下エリアで3〜4時間が目安です。移動を含めると、両方をゆっくり回るなら1日見ておくと安心です。半日しかない場合は、駅から歩ける城下エリアを優先するのがおすすめです。
休館日で気をつけることはありますか?
報徳博物館は毎週水・木・金曜日が休館です。尊徳記念館は年末年始以外は開いているので、平日に訪れる場合は報徳博物館の開館日を先に確認しておくと予定が組みやすくなります。
まとめ:少年の栢山から、大人の城下へ
小田原には、二宮金次郎の一生がそのまま残っています。栢山では茅葺屋根の生家や菜種を育てた土手、捨てられた苗を実らせた田んぼに少年時代の工夫を感じ、駅前と城下では藩を支えた大人の尊徳と、神様として祀られた姿に出会えます。
どちらか一方でも楽しめますが、2つのエリアを続けて歩くと「積小為大」という言葉が、教科書の四字熟語ではなく一人の人生の実感として伝わってきます。小田原城や箱根に来たついでに、ぜひ金次郎の故郷を少しだけ歩いてみてください。
報徳二宮神社のある小田原城址公園を、正規登城ルートで天守閣まで歩きます。
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続きを読む ›金次郎広場のある駅前の商業施設。食べ歩きや無料の足湯も楽しめます。
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