
薪を背負い、歩きながら本を読む少年。全国の小学校で見かけた二宮金次郎の像は、多くの人にとって「金次郎」そのものの姿だと思います。でも、その金次郎が生まれ育った小田原で像をめぐってみると、姿がひとつではないことに驚きます。
全国でただ一体だけ戦争を生き延びた昭和3年の銅像、駅の構内で旅人を迎える少年像、妻と並んで立つ大人の金次郎、そして村々を歩いて指導した晩年の尊徳。私が暮らす小田原には、少年から大人まで、金次郎の一生をなぞるように像が点在しています。
この記事では、小田原で出会える二宮金次郎像を写真で見比べながら、そもそもなぜ薪を背負って本を読んでいるのかという疑問にもお答えします。

- 小田原で出会える二宮金次郎像8体の場所と姿の違い
- 金次郎像が薪を背負って本を読んでいる理由
- 全国で唯一残る、報徳二宮神社の昭和3年の銅像
- 学校から金次郎像が減っている理由
- 8体を1日でめぐる順番
小田原で出会える二宮金次郎像8体
まずは一覧です。姿を見比べると、少年時代から晩年まで、金次郎の人生のさまざまな場面が像になっていることが分かります。像の名前を押すとこの記事内の紹介へ、場所を押すと各スポットの詳しい記事へ移動します。
| 像 | 場所 | 姿・特徴 |
|---|---|---|
| 少年勉学の像 | 善栄寺(栢山) | 腰を下ろして本を開く少年、台座に「積小為大」 |
| 回村の像 | 尊徳記念館(栢山) | 村々を歩いて指導した大人の尊徳 |
| 発心の地の像 | 飯泉観音(飯泉) | ひざまずいて手を合わせる少年 |
| 昭和3年の銅像 | 報徳二宮神社(城内) | 薪を背負って読書、全国で唯一の現存 |
| 二宮尊徳翁像 | 報徳二宮神社(城内) | 書物を手にした大人の尊徳 |
| 二宮尊徳先生幼時之像 | 小田原駅 東口方面 | 駅構内で旅人を迎える少年像 |
| 夫婦像 | ミナカ小田原 金次郎広場 | 妻・なみと並ぶ大人の金次郎、背中に箱 |
| 路面電車と並ぶ像 | 箱根口ガレージ | 国道1号線沿い、昭和の路面電車と並ぶ |
二宮金次郎像はなぜ薪を背負って本を読んでいるのか
あの姿の元になったのは、金次郎の弟子・富田高慶が師の生涯をまとめた『報徳記』です。そこには、少年の金次郎が薪を取りに山へ行き来する道中でも、書物を懐に入れて読んでいたという内容が記されています。
この場面を絵にしたのが、明治24年(1891年)に出版された幸田露伴の『二宮尊徳翁』の挿絵でした。薪を背負い、歩きながら本を読む少年の姿はここで形になり、やがて銅像や石像として全国に広がっていきます。
金次郎の家は、酒匂川の洪水で田畑を失い、父も病に倒れて暮らしが苦しくなっていました。少年の金次郎は山で集めた薪を小田原の城下まで売りに行き、家計を支えていたといわれます。背負っていたのは、山で拾い集めた落ち枝のような、少年でも運べる量だったそうです。
働く時間を削らず、移動のわずかな時間も学びに使う。薪と本を同時に抱えた姿は、「働くことと学ぶことを両立させた少年」を象徴しているのです。
栢山の生家から小田原の城下までは、今の地図で見ても8kmほど離れています。実際にこの距離を知ってから像を見ると、あの小さな背中に背負われたものの重さが、少し違って見えてきました。
学校から金次郎像が減っている理由
金次郎像が全国の小学校に一気に広まったのは、大正の終わりから昭和の初めにかけてです。ところが戦時中、ブロンズ製の像の多くが金属として供出され、姿を消しました。戦後に建てられた像の多くが石やコンクリート製なのはこのためです。
さらに近年は、校舎の建て替えにあわせて撤去されたり、「歩きながら本を読む姿を子どもに勧めるのはどうか」という声を受けて、座って本を読む像がつくられたりするケースもあります。学校で見かける機会が減ったからこそ、生まれ故郷の小田原でまとめて像に会えるのは貴重です。
生誕の地・栢山で会える金次郎像
金次郎が生まれ育った小田原市栢山には、少年時代と晩年の像が残っています。小田急線の栢山駅から歩いて回れます。
善栄寺「少年勉学の像」
栢山駅から歩いて8分ほどの善栄寺は、二宮家の墓所があるお寺です。境内の「少年勉学の像」は、薪を背負って歩く姿ではなく、腰を下ろして本を開く少年の金次郎です。一日の仕事を終えたあとも夜遅くまで書物を読んでいた姿を表したもので、台座には代表的な教え「積小為大(小を積んで大を為す)」が刻まれています。
すぐそばには、今市で亡くなった金次郎の遺髪と遺歯を納めたお墓があります。金次郎の像と眠る場所が同じ境内にあるのは、生まれ故郷ならではです。
尊徳記念館「回村の像」
生家のある尊徳記念館の敷地には、少年像とはまったく違う姿の像が立っています。早朝から夜まで村々を歩き、田畑や暮らしを見て回って復興を指導した、大人の尊徳の「回村の像」です。
尊徳は身長およそ6尺(約180cm)の大柄な人物だったといわれ、この像を見ると「薪を背負った少年」のその後の人生がぐっと具体的に想像できます。少年像を見慣れた目には、いちばん新鮮に映る金次郎かもしれません。
飯泉観音、金次郎発心の地の像
酒匂川の東側にある飯泉観音(飯泉山勝福寺)は、坂東三十三観音の第五番札所です。少年の金次郎がここで旅の僧から観音経の話を聞き、一念発起したと伝わることから、金次郎「発心の地」とされています。
像は本堂の奥、大日堂のそばにあります。ほかの像と大きく違うのは、金次郎がひざまずいて手を合わせていることです。本も薪も持たず、観音様に向かって祈る少年の姿。ほかの像が「勤勉」を表しているのに対し、ここは人を救う道を志した、人生の分岐点を伝える場所です。金次郎の出発点を知ってから城下の像を見ると、見え方が変わってきます。
小田原駅前・城下で会える金次郎像
小田原駅から小田原城にかけては、神社の2体から駅の像、近年できた観光スポットの像まで、5体の金次郎に会えます。
報徳二宮神社、全国で唯一残る昭和3年の銅像
小田原城址公園の中、金次郎を祀る報徳二宮神社の鳥居のそばに立つのが、小田原でいちばん価値のある金次郎像です。
この像は、昭和天皇の即位の御大礼を記念して、三代目慶寺丹長が制作し、神戸の中村直吉が寄進したブロンズ像です。高さがちょうど1メートルなのは、当時普及が進められていたメートル法を子どもたちに伝える意図があったからだそうです。
同じ型の像は全国の小学校のために約1,000体つくられましたが、戦時中にすべて供出され、現存するのはこの一体だけといわれています。何気なく鳥居の横に立っていますが、実は金次郎像の歴史そのものといえる一体です。参拝のついでに、ぜひ足を止めて見てみてください。
報徳二宮神社、書物を手にした大人の尊徳翁像

報徳二宮神社には、少年像とは別に、もう1体の像があります。書物を手にして立つ、大人になった二宮尊徳翁の像です。同じ境内で少年と大人の金次郎を見比べられるのは、祭神として祀る神社ならでは。
そばの説明板には、尊徳の言葉として知られる「経済なき道徳は寝言」という一節も記されています。道徳と経済の両立を説いた報徳の教えを、大人の姿の像と一緒に味わえる場所です。
小田原駅「二宮尊徳先生幼時之像」

電車で小田原に着いたら、最初に会えるのが駅構内の像です。東口方面へ向かうエスカレーターを下りた柱の近くに、「二宮尊徳先生幼時之像」と名付けられた少年の金次郎が立っています。
薪の束を背負って本を持つおなじみの姿ですが、顔はやや丸く、しっかり前を見ているのが特徴です。台座には「日に一字ずつ習えば、一年では三六五字となる」という、まさに積小為大を感じる言葉も刻まれています。待ち合わせの目印にもなる場所なので、行き帰りに探してみてください。
ミナカ小田原・金次郎広場の夫婦像
小田原駅東口と連絡通路でつながるミナカ小田原の金次郎広場には、2019年公開の映画「二宮金次郎」を記念して設置された、金次郎と妻・なみのブロンズ像があります。
面白いのは、金次郎が背負っているのが薪ではなく箱だということです。ここにいるのは少年ではなく、妻とともに暮らしを立て直していく大人の金次郎。右側に回り込むと背中の箱がよく見えるので、少年像との違いを確かめてみてください。夜にはライトアップされ、昼とは違う落ち着いた表情になります。
箱根口ガレージ、路面電車と並ぶ金次郎像
国道1号線の箱根口交差点のそば、箱根口ガレージ(報徳広場)の入口には、金次郎像が立っています。すぐ隣には、昭和10〜31年に小田原を走った水色と黄色の路面電車「モハ202号」。江戸の金次郎と昭和の路面電車が同じフレームに収まる、写真好きにはたまらない組み合わせです。
運営しているのは報徳二宮神社で、金次郎の報徳の教えをもとに、町を元気にしようと令和3年に開業した施設です。像を眺めたあとは、隣のきんじろうCAFE&GRILLでひと休みできます。
8体の金次郎像をめぐる順番
金次郎の人生をなぞるなら、生まれ故郷の栢山から始めて、城下で締めくくる順番がおすすめです。
栢山:善栄寺 → 尊徳記念館
小田急線 栢山駅から善栄寺へ。少年勉学の像を見たら、生家のある尊徳記念館で回村の像に会います。
飯泉観音
酒匂川を渡って発心の地へ。車なら栢山から直接向かえます。電車の場合は小田原駅東口からバスで「飯泉観音前」下車です。
城下:報徳二宮神社 → 箱根口ガレージ
小田原城を抜けて報徳二宮神社へ。昭和3年の少年像と大人の尊徳翁像を見比べます。そのまま歩いて箱根口ガレージで路面電車と金次郎像を見ます。
駅:金次郎広場 → 小田原駅の像
駅に戻り、ミナカ小田原の夫婦像と、駅構内の幼時之像で締めくくります。
時間がない場合は、駅から歩ける城下の5体だけでも十分に見比べが楽しめます。それぞれの場所の詳しい回り方は、二宮金次郎の小田原ゆかりの地まとめでモデルコースとして紹介しています。
二宮金次郎像のよくある質問
二宮金次郎像はなぜ薪を背負って本を読んでいるのですか?
弟子の富田高慶がまとめた『報徳記』に、少年の金次郎が薪を取りに行き来する道中も書物を読んでいたと書かれていることが元になっています。この場面を明治24年(1891年)に幸田露伴の『二宮尊徳翁』が挿絵にし、あの姿が広まりました。働きながら学んだ勤勉さを表した姿です。
薪は何のために運んでいたのですか?
家計を支えるためです。洪水で田畑を失い暮らしが苦しくなった二宮家のために、少年の金次郎は山で集めた薪を小田原の城下まで売りに行っていたといわれています。
いちばん古い金次郎像はどこにありますか?
小田原の報徳二宮神社にある昭和3年(1928年)のブロンズ像が、全国の小学校向けにつくられた同型像のうち、戦時中の供出を免れて現存する唯一の一体といわれています。
なぜ学校から金次郎像が減ったのですか?
戦時中の金属供出でブロンズ像の多くが失われたことに加え、近年は校舎の建て替えにあわせた撤去や、歩きながら読書する姿への懸念から、座って本を読む像に置き換えられた例もあります。
小田原駅の金次郎像はどこにありますか?
駅構内の東口方面へ向かうエスカレーターを下りた柱の近くにあります。「二宮尊徳先生幼時之像」という名前の少年像です。
まとめ:故郷・小田原で金次郎の一生を像でたどる
小田原の二宮金次郎像は、全国で唯一残る昭和3年の銅像から、駅で旅人を迎える少年像、妻と並ぶ大人の金次郎、村々を歩いた晩年の尊徳まで、姿も時代もさまざまです。見比べながら歩くと、「薪を背負った少年」が、その後どんな大人になり、何を成し遂げたのかが自然とつながっていきます。
学校で見かけた、あの像の本当の物語に会いに、金次郎の故郷・小田原を歩いてみてください。
二宮金次郎は小田原・栢山に生まれ、大人になってからは小田原藩の城下で力を発揮しました。少年時代の足跡が残る栢山と、金次郎を祀る報徳二宮神社のある駅前・城下に分けて、ゆかりの地の記事をまとめています。




















